◆脱会救出を巡る裁判の判決例  (東京地裁 平成14年3月8日判決)
東京裁判:地裁高裁最高裁


平成14年3月8日判決言渡
平成11年(ワ)第7723号 人格権に基づく差止等請求事件

判 決

アメリカ合衆国メイン州
原告 A・M子
同所
原告 K・J・A
原告ら訴訟代理人弁護士 鐘築 優
愛知県名古屋市
被告 S・Y
訴訟代理人弁護士 渡辺 博
山口 廣
紀藤 正樹
埼玉県
被告 I・K
同所
被告 I・K子
上記被告ら2名訴訟代理人弁護士
中島 信一郎
井上 曉

主    文

 原告らの請求をいずれも棄却する。
 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由

第1 請求
 被告らは、原告A・M子に対し、暴行、脅迫、拉致、監禁、面談強要、電話による会話強要等を行い、又はこれらの方法を用いて原告Mが信仰する宗教を棄教することを強要してはならない。
 被告S・Yは、原告A・M子に対し、1330万5563円及びこれに対する平成11年2月26日から完済まで年5分の割合による金銭を支払え。
 被告S・Yは、原告K・J・Aに対し、726万4820円及びこれに対する平成11年2月26日から完済まで年5分の割合による金銭を支払え。
 訴訟費用は被告らの負担とする。
 2項及び3項について仮執行宣言

第2 事案の概要
 事案の骨子
 本件は、世界基督教統一神霊協会(以下「統一協会」という。)の信者である原告A・M子(以下「原告M」という。)が、その両親である被告I・K(以下「被告K」という。)及び被告I・K子(以下「被告K子」という。被告Kと被告K子を併せて、以下「被告両親」という。)と日本基督教団に所属する牧師である被告S・Y(以下「被告S」という。)が共謀して、統一協会の信仰を棄てさせることを目的として原告Mを違法に拉致監禁するなどし、原告Mの身体の自由や信仰の自由を侵害したなどと主張して、被告らに対し、人格権に基づき、棄教強要行為等の差止めを求めるとともに、原告M及びその婚約者の地位にあったとする原告K・J・A(以下「原告A」という。)が、被告Sに対し、不法行為に基づき、慰謝料等の損害の賠償を求めた事案である。

  (中 略)
事実及び理由

第3 裁判所の判断
1 原告主張の「拉致監禁」に関わる事実関係について
 (1) 「第1回目の拉致監禁」に至る事情について
 前記第2、2(2) の事実のほか、証拠〔甲15号証、丙1、2号証の1及び2、丙2 3、26、28号証の1及び2、原告M、被告K及び被告K子の供述〕及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
 ア 原告Mは、平成7年3月にZ信用金庫を退職して東京に転居する際、被告両親に対し、Rのもとで居住しながら資格を取得して職業に従事すると説明していたが、実際に は、前記第2、2 (2)イのような生活をしていた。
 また、原告Mは、被告両親に統一協会への入会を告げた平成7年5月25日以降、被告両親に対して連絡はとっていたものの、居場所については知らせていなかった。
 イ 被告両親は、原告Mから統一協会に入会したことを告げられ、前記第2、2 (2)ウのように、統一協会がいわゆる霊感商法や献金問題などで社会的に多くの問題を引き起こしている宗教団体であると認識していたため、驚き、動揺し、原告Mと統一協会の活動などについて話し合いたいと考えたが、原告Mからこれを拒否され、その機会を得られないままとなっていたところ、子供が統一協会に入会し、活動していることで苦悩している父母の会の存在を知り、この会のメンバーを通じて、反統一協会の立場から統一協会の信者に対する説得活動や信者の家族に対する支援活動を行っているT教会のI牧師の存在を知って、平成7年8月ころから、I牧師が主催する統一協会に関する勉強会に参加するようになり、I牧師の面識を得るようになった。
 ウ 平成7年9月ころ、被告K子が原告Mから統一協会の講演会に誘われて出かけたところ、原告Mは真っ黒に日焼けし、体は痩せ細り、被告両親と同居していたころには60キログラム近くあった体重が38キログラムまで減ってしまったということで、疲れ切った様子であった。
 被告K子は、このような原告Mの生活と健康を心配し、家に戻るように話したが、原告Mは聞く耳を持たなかった。
 エ また、同じ9月ころ、被告Kは、I牧師の勉強会に参加していた父母から、統一協会の信者が協会から課せられたノルマを果たすために、家族の預金などに手を出すことがあるという話を聞かされた。被告Kは、前記第2、2 (2)アのとおり原告MがZ信用金庫に就職したことから、同信用金庫H支店に自己名義で預金をしていたので、これを確認したところ、原告Mが、未だ同信用金庫に在職中の平成6年ころ、被告Kに無断で上記預金を解約し、又はこれを担保に借入れを行って、約220万円を引き出していたとの事実が判明した。
 オ 被告両親は、上記アないしエのように、原告Mが、被告両親において、いわゆる霊感商法や献金問題などで社会的に多くの問題を引き起こしている宗教団体であるという認識を持っていた統一協会に加入した後、両親に嘘を言って東京に出て、その所在が分からなくなってしまったこと、その後、原告Mが痩せ細って、生活に疲れた様子でいることを知るとともに、父親の預金を無断で引き下ろしていた事実を知ったことなどから、I牧師の協力を得て、原告Mと、統一協会の教義や活動の問題点などについて時間をかけてじっくり話し合い、これを原告Mが統一協会に対する信仰を考え直すようになる機会としたいと考えるに至った。
 しかし、原告Mの所在は依然不明のままだったので、被告両親は、平成8年3月ころ、地元の警察署に捜索願を提出した。
 (2) 「第1回目の拉致監禁」について
 前記第2、2 (3)の事実のほか、証拠〔甲15号証、乙20、29号証、丙1、12 号証、証人T、証人I牧師、原告M、被告K及び被告K子の供述〕及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。
 ア 被告両親は、平成8年4月下旬ころ、鴻巣市の運転免許センターから原告M宛の運転免許証の更新手続を通知する葉書が被告両親宅に届いたことなどから、被告両親は、原告Mがその誕生日である5月21日までの間に更新手続をするため運転免許センターに現れるものと考えた。そこ で、被告両親は、この機会に前記 (1)オのような原告Mとじっくり話し合う機会を設けたいと考え、同年5月13日ころ、その「話合い」の場とするため、マンション515号室を賃借した。
 また、被告Kは、警察署に対しても、原告Mが運転免許センターに現れる可能性があることを連絡した。
 イ 原告Mは、同月20日午前9時前ころ、運転免許証の更新手続のため鴻巣市の運転免許センターを訪れ、更新手続をとった。被告両親は、同センターから原告Mが来所している旨の連絡を受けて、親族らと連絡をとり、同センターに赴いて、救護室で待機した。
 原告Mは、同日午前11時30分ころ、同センターの職員により上記救護室に案内された。そこには、被告両親とOら7名の親族が待機していて、原告Mに対し、話合いのための場所を用意してあるので一緒に行ってほしいと話した。
 原告Mは、同センター内で特段の騒ぎを起こすこともなく、被告両親、上記親族ら及び外で待機していたGほか数名の親族とともに、被告両親が用意した車に乗り込み、午後2時30分ころ、マンションに着いた。  ウ マンション515号室の間取りは別紙添付図1のとおりであったが、玄関扉の防犯チェーンには南京錠がかけられ、その鍵は被告K子が身につけた状態で所持していて、原告Mには渡されていなかった。また、同室内からベランダに通じる扉は開かないようになっていた(なお、ベランダに通じる扉にこのように細工をしたのが被告両親であったこと、窓が防弾ガラスになっていたこと、同室が統一協会信者に対する監禁場所として常習的に使用されていたことを認めるに足りる証拠はない。)。
 エ 原告Mは、マンションに来た後は働きに出ることはなく、家事を手伝うだけであ り、また、食事は被告両親と一緒にとるものの、昼間は寝て、深夜に音楽を聴いたり外国語のテープを聴いたりするなどして過ごしていた。
 しかし、しばしば、トイレに入ったまま長時間出てこないで、被告両親らとの対話を避ける行動に出たりしたこともあった。
 オ 原告Mは、同年6月2日、窓ガラスをハンドバックで割ろうとしたが割れず、今度はCDラジカセで叩き割ろうとしてこれを持ち上げたところで、身体ごと被告両親に取り押さえられた。
 カ 被告両親は、原告Mに対し、統一協会の教典である原理講論の内容を牧師と一緒に勉強してはどうかと提案したところ、原告Mもこれを了承した。そこで、被告両親は、I牧師に連絡して、マンション515号室への来訪を要請した。
 これに応えて、同月19日、I牧師が初めて同室を訪れ、以降、合計5回にわたって、統一協会の教義につき資料を提示して検証することを重ねた。また、原告Mは、I牧師に対し、統一協会での自己の活動状況を詳細に説明することもした。
 キ 同月30日には、統一協会を脱会した元信者の女性がマンション515号室を訪 れ、原告Mとしばらくの間会話をした。その後、原告Mは、この女性や被告両親、Oらとともに外出した。
 なお、原告Mが外出するのは、同室で起居するようになって以降これが初めてであり、この後は何回か外出する機会をもったが、その前後を通じて、同室から1人で外出したことはなかった。
 ク 原告Mは、Y教会に移るまで、マンション515号室に留まったが、その間、常に被告両親ないし親族の誰かが原告Mと一緒におり、原告Mが1人になることはなかった。
 ケ 原告Mは、前記第2、2 (3)ウのとおり、同年7月7日、Y教会に移り、同教会の宿泊施設で起居していたが、同月10日午前2時ころ、誰にも断ることなくY教会を抜け出し、統一協会の青年ホームチャーチのスタッフの案内で、東京都三鷹市内にある統一協会のホームチャーチに入った。
 (3) 「第2回目の拉致監禁」について
 前記第2、2 (4)及び (5)の事実のほか、証拠〔甲15、31号証、乙21、22、 24、67号証、丙1、4、12号証、証人O、被告S、被告K及び被告K子の供述〕及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
 ア 原告Mは、前記 (2)ケのように、平成8年7月10日、Y教会を出て統一協会のホームチャーチに戻った後は、被告両親に自分の居場所を知らせず、被告両親には原告Mの消息が不明の状態が続いていた。
 ところが、平成9年5月21日、原告Mが群馬県高崎市内で自動車の追突事故を起こしたため、この事故に伴う保険金の支払などの関係で、被告両親と原告Mは、再び会うようになった。
 そして、同年6月、被告Kは、原告Mから、統一協会のホームチャーチから退去するように言われているので、アパートを借りるのを援助してもらいたいと頼まれ、前記第2、2 (4)のように、原告Mが昭島を賃借するについて連帯保証人となり、さらに敷金等の費用を負担し、また、アパートで生活を始めるために必要な洗濯機、テレビ、電話等の生活用品を取りそろえてやり、交通の便も考えて、自転車も買い与えてやるなどした。
 イ 原告Mは、昭島に居住するようになって以降、被告両親には統一協会には通っていないと話し、以前よりは被告両親とも電話などで話をするようになっていた。しかし、被告両親は、原告Mが平成10年の正月にも実家に戻って来なかったことなどから原告Mが体調を壊していることを知り、統一協会の活動などにより身体を酷使しているのではないかと心配して、原告Mが統一協会に対する信仰から確実に脱け出すことができるように、統一協会の教義や活動の問題点などについて、今一度原告Mとじっくり話し合い、考えさせる機会を設けたいと考えるに至った。
 ウ そして、被告両親は、W牧師から、被告両親宅に近いOH教会で、I牧師らと同様の活動を行っている被告Sの存在を知らされ、その連絡先を教えられていたことから、平成10年4月上旬ころ、被告Sに連絡をとり、原告Mについて相談するようになった。
 エ ところで、被告Kは、昭島には原告Mが別の統一協会信者を同居させているため、同所で「話合い」をすると他の統一協会信者に妨害されるおそれがあって適切でないと考えたことから、平成10年4月下旬ころ、このことについて被告Sに相談したところ、以前に娘が統一協会に入会していたという経歴を持つ不動産管理業者のMTを紹介され、同人からハイツ202号室を紹介してもらった。
 オ 平成10年5月16日午前8時30分ころ、被告両親及びOら複数の親族が昭島を訪れたところ、原告Mが同居させていた女性が応対に出て、そのまま外出した。そこで、被告両親が原告Mの居住する108号室に入ったところ、原告Mは、被告両親にお茶を出すなどして応対した。
 その後、他の親族らも加わり、原告Mに対し、話合いのための場所を用意してあるので同行してほしいと説得した。原告Mは、被告両親及び親族らに強く同行を求められたことから、不承不承自ら身の回りの品を旅行鞄に詰めてまとめ、着替えをして、被告両親、上記親族ら及び外で待機していたGとともに、被告両親が用意した2台の車に分乗して、同日午前11時30分ころ、ハイツに到着した。
 カ 原告Mが起居することとなったハイツ202号室の間取りは別紙添付図2のとおりであったが、玄関扉には元々普通の鍵と防犯チェーンが取り付けられていたほか、普段は防犯チェーンには南京錠がかけられ、その鍵は被告K子のみが身につけた状態で所持していて、原告Mには渡されていなかった。また、部屋の窓ガラスには、破損時に破片が飛散するのを防止するためのフィルムが貼られていた(なお、この部屋が統一協会信者に対する監禁場所として常習的に使用されていたこと、窓が開けられないように細工されていたことを認めるに足りる的確な証拠はない。)。
 キ 原告Mは、ハイツに来た当初は興奮状態で、部屋の壁に穴を開けて壊したり、食事をとらなかったり、トイレに入って内鍵をかけたまま出てこなかったりする等の行動をとったりしていた。
 ク 同月20日に至って、原告Mの態度が軟化してきたことから、被告両親は、原告Mに対し、統一協会の原理講論の内容を牧師と一緒に勉強してはどうかと提案したところ、原告Mもこれを了承した。そこで、被告両親は、被告Sに連絡を取り、ハイツ202号室への来訪を要請した。
 これに応えて、被告Sは、同月21日、同室を訪問した。原告Mは、当初、自分は統一協会と関係がないからなどと反発していたが、数回の訪問を経るうち、被告Sとの話合いに応じるようになった。
 その後、被告Sは、同年7月22日までの間に、前後20回にわたってハイツ202号室の原告Mのもとを訪れ、原告Mに統一協会の教義等の問題について考えさせるための機会を持った。その間、被告Sは、日本基督教団Q教会のNK牧師を3回同行したことがあるほか、かつて原告Mと共に活動したことのある元信者のKAや、被告Sから統一協会の教義や活動の問題点について説明を受けていたmら他の統一協会の信者を同行したこともあった。
 ケ 原告Mは、原告Aとともに国際合同結婚式に参加していたこと(前記第2、2 (4)イ)を被告らに隠しており、被告らに対し、そのような事実はないと虚偽の説明をしていたが、同年7月8日、被告Sは、mから原告Mが上記のように国際合同結婚式に参加した事実を聞き知った。そこで、被告Sは、同日、ハイツ202号室を訪れた際、原告Mに対して、なぜ嘘をついていたのかと詰問したりしたが、原告Mは、被告Sの問いかけに対して正面から向き合って考えようとはしなかった。
 コ ハイツ202号室での原告Mの生活ぶりは、マンション515号室にいた当時(前記 (2)エ)とほぼ同様であったが、原告Mのそばには、前記サのとおり同室から脱出するまでの間、常に被告両親ないし親族の誰かがおり、原告Mが1人になることはなかった。
 また、原告Mは、同年6月8日に被告Sと同行してきた元統一協会信者のKSとともにドライブに出かけたのを最初に、何回か同室から外出することはあったが、1人で外出したことはなかった。
 サ 原告Mは、同年7月26日、部屋に独り残っていた被告Kがうとうとしていた隙をねらって室外に脱出しようとし、2階の窓からベランダに出て、雨樋のパイプづたいに 降りようとしたところ、パイプが折れ、原告Mは足から地面に落ち、尻餅をついた。しかし、原告Mは、そのまま逃げ、東京都内の統一協会のホームチャーチに入った。
 シ その後、原告Mは、被告両親のもとに帰ることはなく、被告両親に自分の居場所を知らせたのは、原告らが連れ立ってアメリカ合衆国に渡航した後の平成10年10月末ころであった。
事実及び理由

2 被告Sに対する損害賠償請求について
 (1) 被告Sの被告両親との共謀の有無について
 ア 前記1 (3)に認定した事実によれば、被告Sは、被告両親から原告Mが統一協会の信者として活動していることについて相談を受け、これに応じており、被告両親に対して不動産管理業者のMTを紹介し、被告両親の要請に応じて、「第2回目の拉致監禁」中、しばしばハイツを訪問し、原告Mと統一協会の教義の問題等について話をしたところであるが、これらの事実のみによっては、原告らが主張するように、被告Sが、被告両親に対し、原告Mを拉致監禁して統一協会からの脱会を強要するように指導し、共謀したとの事実を推認することはできない。
 イ また、前記1 (3)に引用の証拠によれば、平成10年5月21日以降の原告Mの被告Sに対する態度は日によって相当程度対応の在り方が異なってはいたが、原告Mは、全体としてみると、少なくとも被告Sの話を聞き、統一協会の教義の問題について改めて勉強してみようという素振りは見せていたこと、特に同年7月8日以降は、統一協会から脱会する気持ちになったかのような行動をとり、被告両親に対しても打ち解けたような態度をとりはじめたこと、6月6日から7月15日にかけて話をする機会のあった統一協会の信者あるいは元信者らに対しても、被告らから監禁され、統一協会からの脱会を強要されている等を訴えてはいないことが認められるのであり、これらの事情からすれば、その都度ハイツを訪問するだけで原告Mと起居を共にしていたわけでもなく、玄関扉の防犯チェーンに南京錠がかけられている状態をみていないものと認められる被告Sにおいて、原告Mが、その意思に反して被告両親によりハイツ202号室に留め置かれているとの認識を持ちながら、これを容認していたものと推認することも困難であるというべきである。
 ウ 原告らは、ハイツ202号室は元々不動産業者のMTが自分の娘を被告Sの説得によって統一協会から脱会させるために改造したものを、引き続き被告Sにおいて統一協会信者に対する拉致監禁、脱会強要を行うために管理利用していたものであり、部屋の窓の細工は被告Sの許可がなければ被告両親において取り外せなかったこと、別紙添付図2のCの部屋は被告Sが統一協会関係の資料を保管するために継続的に使用していたことからして、被告Sと被告両親との共謀は明らかであると主張するけれども、そもそも、ハイツ202号室が統一協会信者に対する監禁場所として常習的に使用されていたこと、窓が開けられないように細工されていたことを認めるに足りる証拠がないことは、前記1 (3)カのとおりであり、その他、本件においてこれら主張の前提事実を認めるに足りる的確な証拠はない。
 エ なお、原告らは、被告Sが、被告両親に対し、原告Mを拉致監禁して統一協会からの脱会を強要することを指導し、共謀したとの事実を推認させる事情として、被告Sの所属する日本基督教団が統一協会を組織的に壊滅することを目標として掲げ、そのための手段として拉致監禁、脱会強要行為を全国的・組織的に、反復継続して行ってきたとの点を挙げ、本件もその一環として行われたものであると主張する。
 証拠〔甲45号証の9、11ないし14、17ないし19、甲57、80、82、88号証、乙26、27、32号証〕によれば、日本基督教団は、統一協会の活動を憂慮し、その実態を広く人々に知らせ、被害者たちの叫びを聞き、教会の重要な活動の一つとしてこれに取り組むとの趣旨の声明を発表し、「統一原理問題連絡会」のメンバーを中心として、統一協会の信者に対する活動やその家族に対する支援を行っていること、被告Sも 「統一原理問題連絡会」のメンバーの一人であること、日本基督教団は、本件訴訟に関して被告Sを支援する旨を表明していることが認められるが、それ以上に、日本基督教団 が、統一協会の信者を拉致監禁して脱会を強要することを組織的に行い、又はこれを容認しているものとまでは認められないし、その他、本件全証拠を総合しても、上記原告らの主張事実を認めることはできない。
 オ 以上のとおり、被告Sが、「第2回目の拉致監禁」の実行について被告両親を指導し、これを共謀したとの事実は認めることができないから、被告両親の上記行為に関する評価のいかんにかかわらず、この点に関し被告Sに不法行為が成立する余地はないというべきである。
 (2) 被告Sの原告Mに対する脅迫・暴言の有無について
 ア 原告らは、前記第2、4 (1)イ(オ)のとおり、被告Sが原告Mに対し暴言や脅迫を繰 り返すなどしたと主張し、原告Mは概ねこれに沿う供述をする。また、原告Mの日記(甲79号証の2)の中にも、その趣旨の記述があることが認められる。
 これに対し、被告Sは、原告Mに対し暴言ないし脅迫的な言葉を吐いたことを否定する趣旨の供述をするが、証拠〔甲32、34号証〕によれば、原告Mが、被告Sに宛てた平成10年10月29日付けの手紙(甲32号証)において、「S牧師は群馬のアパートで『一生鉄格子に入ってろ』『鉄格子ではナマッチョロイ。独房だ』などと何度か言われましたが、こうした発言は牧師として適正な発言であったと思われるのでしょうか?」と尋ねたのに対し、被告Sは、原告Mに返信した1998年11月24日付けの手紙(甲34号証)において、原告Mに対しこのような発言をしたこと自体は否定せず、むしろこれを前提として、発言の真意を説明しようとしていることが認められ、このような事情に照らすと、少なくとも上記引用の発言については、そのような事実があったものと認めるのが相当である。
 イ しかしながら、上記手紙(甲34号証)の記述及び被告Sの供述に照らせば、被告Sの上記引用の発言は、原告Mが被告両親に対して嘘を重ねてきたことに対し、被告S が、嘘をつくことは悪であり、罪であるとの自己の認識を、嘘つきを犯罪者になぞらえて上記のような表現方法をとったに過ぎないものと認められるから、それは、発言それ自体としては穏当性を欠くものというべきであるが、損害賠償請求権を発生させるほどの違法性を帯びたものということはできないというべきである。
 ウ 原告Mは、上記アに摘示したところ以外にも被告Sから暴言を吐き連ねられたなどと供述するが、反対趣旨の被告S及び被告両親の供述内容に照らして採用することはできず、他にこれを認めるに足りる的確な証拠はない。
 (3) 被告Sの原告Mに対する暴行の有無について
 ア 原告Mは、前記第2、4 (1)イ(カ)のとおり、平成10年7月8日に被告Sから暴 行を受けたと主張し、その主張に沿う供述をする。また、原告Mの日記(甲79号証の 2)の中にも、その趣旨の記述があることが認められる。
 これに対し、被告Sは、原告Mの肩に手を置いて注意を喚起しただけであり、原告Mが主張するような暴行を加えた事実はないと供述し、その場に居合わせた被告Kも、これに沿う供述をする。しかしながら、一方で、被告Sは、本件訴訟が提起される前に原告Mに宛てた1998年11月24日付けの手紙(甲34号証)においては、被告Sが、原告Mの両肩を押して、原告Mが被告らに対し国際合同結婚式に参加していないと嘘をついていたことに関し注意を喚起したこと、その際には、原告Mが嘘をついていたことに対しての被告Sの率直な感情が伴っていたということを認めるとともに、「あなたの手紙には、 『3回』と書かれてあるが私の記憶でも両親の記憶でも、それは事実と反する嘘です。」などと記しており、原告Mに対して有形力を行使した事実自体を否定する記述はしていないことが認められる。
 このような証拠関係と弁論の全趣旨に照らせば、回数の点は別として、被告Sが原告Mの肩を両手で強く押した事実、及び、被告Sが座布団を手に持って、これを原告Mの顔に当てたとの事実は存在したものと認めるのが相当である。
 イ しかしながら、証拠〔甲34号証、79号証の2、原告M、被告S及び被告Kの供述〕によれば、被告Sが上記のような行動に出たのは、被告Sにおいて、原告Mが原告Aとともに国際合同結婚式に参加したとの事実をmから聞き及び、原告Mが被告両親にも被告Sにもこれを否定してきていたのが嘘であったことを知って、嘘は犯罪であるということ、嘘をつかれていたことを知った時に人がどれほど憤慨するかということ、嘘をつくことは信頼している人の信頼を裏切ることであるということを原告Mに知らせなければならないと思い、原告Mを諭したのに対し、原告Mが真剣に話を聞こうとしない態度をとり続けたため、話をきちんと聞くようにと注意を喚起しようとしたものであると認められるのであり、原告Mも、被告Sの上記の行為によって特に恐怖を感じたわけではなかったこ と、その場に居合わせた被告両親やOにおいても、被告Sの挙動を制止しようとする気持ちが生じるような状況ではなかったことが認められる。
 これらの事情を併せて考慮すれば、被告Sのとった上記アの行動は、外形的には原告Mに対する有形力の行使であり、それ自体としては穏当性を欠くものであったことは否定できないものの、それが損害賠償請求権を発生させるほどの違法性を帯びた行為であったとまでは認めることができないというべきである。
事実及び理由

3 まとめ
 以上のとおりであって、被告Sが原告Mに対し不法行為を行ったことは認められないから、原告Mの被告Sに対する損害賠償請求は、理由がない。
 また、原告Aの被告Sに対する請求が、被告Sにおいて原告Mに対して不法行為を行ったことを前提とするものであることはその主張自体に照らし明らかであるところ、被告Sが原告Mに対し不法行為を行ったものと認められないことは上記のとおりであるから、原告Aの被告Sに対する請求は、その余の点についてみるまでもなく、理由がない。

4 差止請求について
 (1) 原告Mの現在の生活状況等について
 前記第2、2 (1)アの事実のほか、証拠〔甲15、24、75号証、丙15ないし18号証、19号証の2ないし7、原告Mの供述〕及び弁論の全趣旨によれば、原告Mは、平成10年8月27日、米国人の夫である原告Aとともにアメリカ合衆国に渡航して以来、同国内で居住し、原告Aの両親の援助を受けながら、平穏な家庭生活を送っていること、原告Mは、その後、平成13年2月9日に実施された本件訴訟における本人尋問に出頭するため帰国したことがあるが、それ以外には日本に帰国したことがないこと、原告ら夫婦は、本件訴訟の係属中である平成12年12月29日、アメリカ合衆国において長男Jを出生しているが、原告Mは、Jについて日本の国籍を留保する旨の届出をしなかったことが認められ、また、原告M自身、その本人尋問において、今後、日本で生活する考えはないし、息子が日本国籍を持っていないこともあって、日本で住むのは難しいのではないかと思うとの趣旨の供述をしているところである。
 これらの点からすれば、原告Mは、そう遠くない将来において、日本に移住する可能性はほとんどないものと認められる。
 (2) 被告らの状況等について
 ア ところで、被告両親は、前記1 (2)及び (3)に認定したように、反統一協会の立場から統一協会の信者に対する説得活動や信者の家族に対する支援活動を行っている牧師の協力を得ながら、統一協会の信者となった原告Mと、統一協会の教義や活動の問題点などについて時間をかけてじっくり話し合い、原告Mが統一協会に対する信仰を考え直す機会としたいと考え、予め「話合い」の場所を用意した上で、最初は平成8年5月20日から同年7月初めまで、次いで平成10年5月16日から同年7月26日まで、前後2回にわたって、原告Mに対し、「話合い」の場所に同行するよう求め、原告Mが同行に応じた後は、原告Mの自由な精神的・身体的活動を制約するような態様の生活環境の下で、「話合い」の場所へのI牧師及び被告Sの来訪を求め、原告Mに対し、統一協会の教義や活動の問題点などについて「話合い」を行うよう慫慂したところである。
 そして、これらの2回にわたる被告両親の「話合い」に関する行動は、それが、被告両親の、親として子の幸せを思う情愛から出たものであることが明らかであること等を考慮すれば、これを直ちに「監禁」に当たるとか、原告Mが信じている統一協会から脱会することを「強要」したものと断定することは相当でないというべきであるが、既に成人し、曲がりなりにも一人の社会人として生活している原告Mを、その自発的な意志に基づかないまま、その自由な精神的・身体的活動を制約するような態様の生活環境の下に相当期間にわたって置くなどしたという点において、なお、社会通念に照らし相当と認められる範囲を超えたものとの疑いも残すところである。
 もっとも、いずれにせよ、これらの2回にわたる被告両親の「話合い」に関する行動 は、被告両親において、統一協会がいわゆる霊感商法や献金問題などで社会的に多くの問題を引き起こしている宗教団体であるという認識を持っていたこと、被告両親にとって、原告Mが、統一協会の信者となり、その活動に従事するようになってから、親に嘘をつ き、親に黙って親の預金に手を付ける(これは、信用金庫の従業員が顧客の預金に無断で手をつけたことにもなる。)ような娘に変わってしまったと思われたこと、被告両親と原告Mとは、次第に、親子の会話ばかりでなく、音信もままならない状態となっていったこと、また、被告両親からは、原告Mの健康が危惧される状態がみられ、これも原告Mの統一協会の信者としての活動に無理があってのことと思われたこと等から、親として娘の生き方を心配し、娘の幸せを思う情からとられた行動であることは明らかなところである。しかし、上記のような「話合い」の方法によっては、原告Mが統一協会に対する信仰を考え直すことにならず、かえって、原告Mにおいて、棄教を強要されたものと受け止めて、被告両親に対する反撥心を強める結果を生じさせてしまったものと窺われるところであ る。
 イ そして、これらの被告両親にとって苦い想いを残すこととなった経過にかんがみれば、かつ、現在、被告両親においては、原告Mと通常の親子の関係を取り戻せれば、との願いを持っているだけで、それ以上に、あえて原告Mの現在の平穏な家庭生活に波風を立たせるような行動をとろうという気持ちは持っていないものと認められる。〔被告K及び被告K子の各供述、弁論の全趣旨〕ところからすれば、被告両親が、近い将来において、再び、原告Mと上記のような態様の「話合い」を行うことを試みようとするものとは、到底認め難いものというべきである。
 なお、原告Mは、本件訴訟の係属中である平成12年2月下旬ころ、被告両親が、日本基督教団の女性牧師であるCの案内により、アメリカ合衆国に居住する原告ら方を訪問したことがあるとの事実を指摘し、被告両親が今後も原告Mを拉致監禁するおそれがあるなどと主張するが、証拠〔甲75、81、99、100号証、丙18号証の1及び2、19号証の1の1及び2、19号証の7、原告M、被告K及び被告K子の供述〕及び弁論の全趣旨によれば、上記の事実は認められるものの、一方で、原告Mは、これに先立ち、被告両親を原告ら方に招待したい旨の手紙(丙18号証の1及び2)を送っていたこと、Cからも原告Mに対し、電話で被告両親が原告Mを訪問するつもりである旨を伝えてあったこ と、被告両親は、単に娘である原告Mや孫であるJに会いに行っただけで、その際には、原告Aやその両親とも一緒になごやかなひと時を過ごし、原告Mと被告両親との間で統一協会に関する話題が出たことはないことが認められるのであって、このことからすれば、上記のような訪問の事実があったからといって、被告両親が、近い将来において、再び、原告Mと上記のような態様の「話合い」を行うことを試みようとする可能性があるものと推認することはできない。
 ウ また、被告Sにおいて、近い将来、原告Mに対し、暴行、脅迫、拉致、監禁、面談強要、電話による会話強要等を行い、これらの方法を用いて原告Mの統一協会に対する信仰を棄てるように強要しようとする意図を有しているものと認めるに足りる証拠はない。
 (ウ) まとめ
 以上のように、本件全証拠及び弁論の全趣旨によっても、原告Mが求めるような差止めを認めるべき具体的、現実的な必要性があると判断するに足りる事実関係は、これを認めることができない。
 したがって、原告Mの本件差止請求も、いずれも理由がない。

第4 結論
 以上によれば、原告らの請求はいずれも理由がないから、これらをすべて棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法61条、65条1項を適用して、主文のとおり 判決する。
〈口頭弁論の終結の日・平成13年10月12日〉
東京地方裁判所民事第四部
裁判長裁判官
裁判官
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